映画2本立てと餃子!!(ちらりとネタバレあり?)
2004年9月4日 映画今日は先週に引き続き黒澤嬢と桜庭嬢と立川にて映画鑑賞ですv
午前中は「誰も知らない」を、午後は「キング・アーサー」という
スケジュール。
感想はひとまず後にして、「誰も知らない」を見に行った後、お昼を
とる。
初めては行ったお店でしたがなかなか良かったですv
まったりした後にふたたび映画館へ。「キング・アーサー」を見ました。
夜本屋へ寄った後にいつも黒澤嬢と行っている餃子のお店へ。たくさん
食べて話しました〜。
(話すネタは18禁なものばかり…)
楽しく過ごして解散。
…ここからは今日見た「誰も知らない」の感想になります
(秘密メモの内容とほぼ同じです)
長文な上少々ネタバレ風味なので未見の方は注意されたし。
「誰も知らない」を見ているうちに二つの映画を思い出し、少しずつ
重ね合わせるようにして映画を見終えました。
ひとつは「火垂るの墓」。
もうひとつは「リリィ・シュシュのすべて」。
「火垂るの墓」は境遇が「誰も知らない」の主人公、明のそれと
重なりました。
だんだん生活が苦しくなり、それをどうすることも出来ない歯がゆさ。
焦燥感。
「リリィ・シュシュのすべて」は現実に起こりうる(「誰も知らない」は
実際の事件がモチーフ)出来事をリアルに描きだしている部分で
重なりました。
「火垂るの墓」と「誰も知らない」は時代背景は違えど、どちらも
「社会的に存在しない、親のいない」子どもたちが生きてゆくには
つらい世界だと思います。
地球全体で見れば、そういう境遇の子どもたちはたくさんいます。
それでもたくましく生きている子どもたち。
でも、今日この国では大げさに言えば「そういう境遇の子どもたちが
いないことを前提とした」社会が形成されています。
「火垂るの墓」ではそれほど確立されたものはなく、戦後の混乱の方が
大きく関わっていますが…。
そして子どもたちが生きる日々の描写のリアルさ。
おとなになってしまった今となってはわからない、そして自分の
子ども時代とは大きく変わってしまった、今の世界に生きる子どもたちの
気持ちを見事に描き出していました。
子ども特有の残酷さと矛盾さはもちろん、今の文化を反映した心理
描写が胸に突き刺さりました。
「リリィ・シュシュのすべて」で思ったように、「誰も知らない」
でも『もうやめて』『これ以上見ていられない』と何度も思いました。
この映画は普段気が付かない、でもそこにあり得る現実を逃げ出したく
なるほどの残酷さ(リアルさ)で描き出していると私は思います。
「火垂るの墓」は何度見ても涙があふれます。なるべくなら見たくないと
思うくらい。
「リリィ・シュシュのすべて」は鑑賞後しばらく子ども恐怖症に
なりました。そしてきっともう見ることができないと思います。
それほど「あってもおかしくない、こわい現実、救いのない世界」が
そこにあるからです。
でも、「誰も知らない」は二つの映画の要素が重なりはしても、
決して「かなしい」「いやだ」とは思えませんでした。そして鑑賞中
『もう見たくない』とは思ってもその映画すべてを拒めなかった。
また機会があれば見たいと思う。
それは、おそらくどんな境遇になってもその世界を守り続けようとする
こころと、どんなことになっても必然的に訪れる明日への儚い可能性を
感じたからだと、私は思います。
もっともっと書きたいことはあるけれどこの辺にして。
「誰も知らない」を見てほしい。
そして、ただあなたのこころに響く「何か」を感じて、みつめてほしい。
久々に「現実」を考えさせられる映画に出会いました。
午前中は「誰も知らない」を、午後は「キング・アーサー」という
スケジュール。
感想はひとまず後にして、「誰も知らない」を見に行った後、お昼を
とる。
初めては行ったお店でしたがなかなか良かったですv
まったりした後にふたたび映画館へ。「キング・アーサー」を見ました。
夜本屋へ寄った後にいつも黒澤嬢と行っている餃子のお店へ。たくさん
食べて話しました〜。
(話すネタは18禁なものばかり…)
楽しく過ごして解散。
…ここからは今日見た「誰も知らない」の感想になります
(秘密メモの内容とほぼ同じです)
長文な上少々ネタバレ風味なので未見の方は注意されたし。
「誰も知らない」を見ているうちに二つの映画を思い出し、少しずつ
重ね合わせるようにして映画を見終えました。
ひとつは「火垂るの墓」。
もうひとつは「リリィ・シュシュのすべて」。
「火垂るの墓」は境遇が「誰も知らない」の主人公、明のそれと
重なりました。
だんだん生活が苦しくなり、それをどうすることも出来ない歯がゆさ。
焦燥感。
「リリィ・シュシュのすべて」は現実に起こりうる(「誰も知らない」は
実際の事件がモチーフ)出来事をリアルに描きだしている部分で
重なりました。
「火垂るの墓」と「誰も知らない」は時代背景は違えど、どちらも
「社会的に存在しない、親のいない」子どもたちが生きてゆくには
つらい世界だと思います。
地球全体で見れば、そういう境遇の子どもたちはたくさんいます。
それでもたくましく生きている子どもたち。
でも、今日この国では大げさに言えば「そういう境遇の子どもたちが
いないことを前提とした」社会が形成されています。
「火垂るの墓」ではそれほど確立されたものはなく、戦後の混乱の方が
大きく関わっていますが…。
そして子どもたちが生きる日々の描写のリアルさ。
おとなになってしまった今となってはわからない、そして自分の
子ども時代とは大きく変わってしまった、今の世界に生きる子どもたちの
気持ちを見事に描き出していました。
子ども特有の残酷さと矛盾さはもちろん、今の文化を反映した心理
描写が胸に突き刺さりました。
「リリィ・シュシュのすべて」で思ったように、「誰も知らない」
でも『もうやめて』『これ以上見ていられない』と何度も思いました。
この映画は普段気が付かない、でもそこにあり得る現実を逃げ出したく
なるほどの残酷さ(リアルさ)で描き出していると私は思います。
「火垂るの墓」は何度見ても涙があふれます。なるべくなら見たくないと
思うくらい。
「リリィ・シュシュのすべて」は鑑賞後しばらく子ども恐怖症に
なりました。そしてきっともう見ることができないと思います。
それほど「あってもおかしくない、こわい現実、救いのない世界」が
そこにあるからです。
でも、「誰も知らない」は二つの映画の要素が重なりはしても、
決して「かなしい」「いやだ」とは思えませんでした。そして鑑賞中
『もう見たくない』とは思ってもその映画すべてを拒めなかった。
また機会があれば見たいと思う。
それは、おそらくどんな境遇になってもその世界を守り続けようとする
こころと、どんなことになっても必然的に訪れる明日への儚い可能性を
感じたからだと、私は思います。
もっともっと書きたいことはあるけれどこの辺にして。
「誰も知らない」を見てほしい。
そして、ただあなたのこころに響く「何か」を感じて、みつめてほしい。
久々に「現実」を考えさせられる映画に出会いました。
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